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※イラスト図面化 長崎電気軌道(株)1987-2005 承認済

老朽車を新造車体で体質改善
200形登場後も増備された新造単車

車体更新車

1次車2代目127)
2次車2代目122号、2代目130号、2代目133号)
3次車2代目26号、2代目131号、2代目4号、2代目63号)


profile

文中の※1〜は下記参考文献からの引用を示しています。

車種

木造単車

両数

8両

自重

7,5t

定員

46人

全長

8,420mm

全幅

2,280mm

全高

3,190mm

コントローラー

a.b.GE-B18
c  GE-B18L

台車形式

Brill21-E

車輪径

787mm

モーター形式

a.GE-52
b.GE-54
cWH-506

モーター出力

17,5kw×2

歯車比

a.b.67:14
c  90:14

ブレーキ

手動・電気

改造年

昭和24年〜28年

改造メーカー

自社(蛍茶屋車庫)

在籍期間

昭和24年〜昭和44年

在籍年数

14〜17年

a.2代目127号・2代目122号・2代目130号・2代目133号
b.2代目26号・2代目31号・2代目4号
c.2代目63号


解説

誕生
※4.戦災焼失車の復旧を10両で中止し、戦災を逃れた戦前からの生き残り車の中で老朽化が激しい車の体質改善を図ることとなり、現役の車両の台車・機器を流用(車体は廃車)、新造車体と組み合わせた「車体更新車」が誕生した。
特徴
※2.車体は戦災復旧車・三菱製(3次車)の屋根(全高)を61mm低くし、その分丸屋根が薄くなり、よりスマートな設計となった。また窓上枠の曲線が省略され、直線となった。1次車127号はこのスタイルで登場。
※2.2次車3両では大きくスタイルが変わり、屋根を更に33mm薄くし、自社工場の工作能力では限界の屋根の曲面半径とした。その分幕部(225mm→295mm)や窓下(975mm→1,070mm)が大きく取られ、全高はそのままとなった。また、車内から櫛桁が無くなった。
※2.3次車4両は1形以来これまで1枚下降式だった側窓を初めて2段式の下部窓上昇式に、窓数も8枚から7枚に減らされ、その分大型化。窓面積が広がった事で車内は大幅に明るくなった。
当初12両の更新を予定していたが、ボギー車の新造が決まった事から8両で打ち止め。
残り4両は西鉄から購入した中古車体への振り替え(有明形)に切り替えられ、大正5年の11形に始まった自社での車体新造は昭和28年の2代目4号で終止符を打った。
その後
明治時代の古い足回りを流用した2代目130号は3年後の昭和29年に40形40号の台車に振り替え。2代目133号は昭和37年に40形43号の台車に振り替え。2代目127号は昭和42年に戦災復旧車2代目45号の台車に振り替え、それぞれ台車の番号に改番され活躍した。
また、2代目4号は昭和42年に戦災復旧車2代目53号の車体に振り替え戦災復旧車3代目4号に。
廃車は昭42年に500形と入れ替えに始まり4両(3代目45号2代目122号2代目40号2代目43号)2代目4号含めて5両)。昭和43年に2代目26号2代目131号の2両。
最後まで残った2代目63号戦災復旧車3代目4号と共に長崎最後の単車として昭和44年6月に廃車解体された。
車体自体は200形ボギー車(昭和25年製)よりも後に新造されたものが大半だったが、やはり木造である事と、単車だった事から僅か20年程の活躍に留まった。
塗装の変遷
緑一色塗りで登場。
昭和28年頃には現在の標準色と同じ、クリームとグリーンのツートンカラーに塗り替え、ただし、前面は現在と異なり、V字形の湘南電車スタイルであった。昭和37年頃からは、前面のV字形塗り分けが無くなり現在のクリームとグリーンのツートンカラーで活躍した。
集電装置の変遷
登場時はポール集電で登場。車体前後に各1本装備していた。
その後、昭和28年10月にビューゲル化され、廃車まで活躍。なお、ビューゲルは車体中央でなく、片側のポール取り付け位置に付いていた。


参考文献
※2.鉄道ピクトリアル41号 昭和29年12月号(私鉄車両めぐり18 昭和29年10月発売 長崎電軌 田栗優一氏)
※4.鉄道ピクトリアル275号 昭和48年2月号(私鉄車両めぐり95 昭和48年1月発売 長崎電気軌道 田栗優一氏)
※5.長崎電気軌道株式会社 五十年史(昭和42年4月1日発行)
※7.長崎「電車」が走る街 今昔(平成15年6月8日発売 田栗優一氏著 JTBキャンブックス)

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