フレームが表示されない場合はこちらをクリックしてください

※イラスト図面化 長崎電気軌道(株)1987-2005 承認済

1形以来の外部発注車両
長崎造船所生まれの3両

戦災復旧車 三菱製

3次車(2代目24号、2代目32号、2代目33号)


profile

文中の※1〜は下記参考文献からの引用を示しています。

車種

木造単車

両数

3両

自重

7,5t

定員

46人

全長

8,420mm

全幅

2,280mm

全高

3,360mm

コントローラー

GE-B18

台車形式

Brill21-E

車輪径

787mm

モーター形式

GE-54

モーター出力

17,5kw×2

歯車比

67:14

ブレーキ

手動・電気

改造年

昭和24年

改造メーカー

三菱重工業長崎造船所(造機部幸町車輌工場)

在籍期間

昭和24年〜昭和34年

在籍年数

通算10年


解説

誕生
誕生背景については自社製と同じく原子爆弾投下により焼失した16両の※4.被災車両の台車と電気機器類を可能な限り再生して車体を新造したもの。
昭和22年9月より※2.平均4ヶ月に1両のペースで自社製車を増備してきたが、※5.昭和24年5月の天皇御巡幸とザビエル400年祭で混雑が予想されたため、3両を三菱重工業・長崎造船所に発注。
昭和24年5月。自社製最後の2両と共に、2代目24号、2代目32号2代目33号の合計3両が揃ってデビューした。(※9.外見上の違いから当サイトでは3次車と称している)
特徴
本来、大型船舶の製造が本業だが、※4.当時は蒸気機関車などの修理も手がけていた三菱重工業・長崎造船所で製造された最初で最後?の路面電車。
また、11形以来、全ての車体新造を自社工場で行ってきたため、創業時の1形以来の34年振りの外部発注電車となった。
車体は基本的な設計は自社製40形とほぼ同一形態)と同一ながら、※7.屋根を2段屋根から62形のような丸屋根に変更。
ただし、全高が2段屋根サイズの設計のままだったので、大変深い屋根となっている、それ以外は自社製の2次車と同一である。
※2.自社製同様、新しい形式や番号を与えられる事なく、焼失車の台車番号を踏襲したが、物資不足の中生まれた車両の為、車体形状と番号が一致しないものとなった。しかし、資材不足や被災状況により、必ずしも全ての部品を元車両から流用したという訳でもないようだ。 部品流用の為、コントローラー、電動機、歯車比が異なっていた。
自社製と同様幕部にあった明かり窓が、※9.板に変えられていた。また、40形62形で採用された、側扉とステップの隙間を塞ぐ、可動式の塞ぎ板も資材不足から省略されていた
その後
自社製と同様焼失車の部品を再生した事と、物資不足の時代に急造され、さらに戦後復興輸送に酷使された車体は老朽化が急速に進み、※5.ボギー化推進の為、大量購入された明治生まれの木造ボギー車160・170形入線と入れ替えに昭和34年3月に2代目32号2代目33号が、6月に2代目24号が廃車され登場から僅か10年で形式消滅した。
塗装の変遷
緑一色塗りで登場。
昭和28年頃には現在の標準色と同じ、クリームとグリーンのツートンカラーに塗り替え、ただし、前面は現在と異なり、V字形の湘南電車スタイルであった。昭和37年頃からは、前面のV字形塗り分けが無くなり現在のクリームとグリーンのツートンカラーで活躍した。
集電装置の変遷
登場時はポール集電のシングルポールで登場し。
その後、昭和28年10月にビューゲル化され、廃車まで活躍。なお、ビューゲルは車体中央でなく、片側のポール取り付け位置に付いていた。


参考文献
※1.THE TIGHT COUPLAR47号(京都鉄道趣味同好会 昭和27年10月19日発行 「長崎の電車」 田栗優一氏)
※2.鉄道ピクトリアル41号 昭和29年12月号(私鉄車両めぐり18 昭和29年10月発売 長崎電軌 田栗優一氏)
※3.長崎電気軌道株式会社 40年誌(昭和29年10月20日発行)
※4.鉄道ピクトリアル275号 昭和48年2月号(私鉄車両めぐり95 昭和48年1月発売 長崎電気軌道 田栗優一氏)
※5.長崎電気軌道株式会社 五十年史(昭和42年4月1日発行)
※6.長崎電気軌道株式会社 ふりかえる二十年のあゆみ(昭和60年8月20日発行)
※7.長崎「電車」が走る街 今昔(平成15年6月8日発売 田栗優一氏著 JTBキャンブックス)
※8.日本路面電車同好会 梨森武志氏の調査による
※9.当サイト独自の見解、分類

 [トップへ戻る]


フレームが表示されない場合はこちらをクリックしてください