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※イラスト図面化 長崎電気軌道(株)1987-2005 承認済

120形の半焼車124号が
車体を再生し復活

元大阪市電11形
元120形124号

火災復旧車(2代目124号)


profile

a当初 b昭29年2月以降

車種

木造単車

両数

1両

自重

7,5t

定員

46人

全長

8,420mm

全幅

2,156mm

全高

3,360mm

コントローラー

a.GE-B18

台車形式 Brill21-E b.WH-B18L

モーター形式

a.GE-54

車輪径

787mm

b.WH-506

モーター出力

17,5kw×2

歯車比

a.90:14 b.67:14

ブレーキ

手動・電気

改造年

昭和22年

改造メーカー

自社(蛍茶屋車庫)

在籍期間

昭和22年〜昭和34年

在籍年数

通算12年


解説

文中の※1〜は下記参考文献からの引用を示しています。
誕生
昭和3年1月25日付で大阪市から譲渡された長崎初の中古車、120形の124号が昭和19年10月10日の大橋車庫火災で半焼、休車のまま蛍茶屋車庫で終戦を迎えた。
戦災復旧が一段落し、被災車両の復旧を手がける事になり、半焼状態の124号に最初に手が付けられた。
昭和22年4月に焼け残った部分の車体と部品を再生して誕生したのがこの2代目124号。
特徴
※5.屋根だけを残し骨格を活かして、120形の特徴であった車体裾が絞り込まれ、客室部分が出っ張ったスタイルは、垂直に改められ、鉄板張りから羽目板張りになった。その分、車体幅が130mm狭くなり、正面はほぼ原型通りの鉄板張り、※7.20形と酷似したスタイルで原型と同じくオープンデッキスタイルで登場した。
側面を新たに製作した事から20形に似た印象の車体になったが、ロングボディは変わりなかった※4.復旧の際、台車をWH型に交換、モーターも同様にWH型に交換して出場した。
車体形状は異なるものの、同じく、大阪市電11形の骨格を活かし、羽目板張りの車体に更新した、後の長崎の「有明形」と兄弟分とも言える。
その後
※4.昭和28年2月に客室と運転台の間の仕切りを撤去し密閉型車体に改造、しかし、スペースや改造の都合かこれまでの40形62形引き戸式から折り戸に改められ、当時の単車では唯一の折り戸車となった。
折り戸は現在のボギー車とは逆の客室側に開閉するのが珍しかった。
昭和29年2月には廃車になった20形20号の台車に載せ替え、モーターや制御器も交換。
車体の半分が新造に近かった事からか、本来の120形よりもかなり延命し、昭和34年6月の160・170形入線まで活躍した。
塗装の変遷
車体形状の変更から、120形とは塗り分けが異なり緑一色塗りで登場。
昭和28年頃には現在の標準色と同じ、クリームとグリーンのツートンカラーに塗り替え、ただし、前面は現在と異なり、V字形の湘南電車スタイルで廃車まで活躍する。
集電装置の変遷
登場時はポール集電のダブルポール(前後各2本2組設置)からシングルポールへの移行期であり、この車両がダブルで登場したのかどうかは記録が無いが、同年登場の戦災復旧車はシングルポールで登場しているので、※8.シングルで登場した可能性が高い。
その後、昭和28年10月にビューゲル化され、廃車まで活躍。なお、ビューゲルは車体中央でなく、片側のポール取り付け位置に付いていた。

参考文献
※1.THE TIGHT COUPLAR47号(京都鉄道趣味同好会 昭和27年10月19日発行 「長崎の電車」 田栗優一氏)
※2.鉄道ピクトリアル41号 昭和29年12月号(私鉄車両めぐり18 昭和29年10月発売 長崎電軌 田栗優一氏)
※3.長崎電気軌道株式会社 40年誌(昭和29年10月20日発行)
※4.鉄道ピクトリアル275号 昭和48年2月号(私鉄車両めぐり95 昭和48年1月発売 長崎電気軌道 田栗優一氏)
※5.長崎電気軌道株式会社 五十年史(昭和42年4月1日発行)
※6.日本路面電車同好会 シュタットバーン12号(大阪市電特集 「長崎に来た大阪市電」平成2年9月発行 梨森武志氏)
※7.長崎「電車」が走る街 今昔(平成15年6月8日発売 田栗優一氏著 JTBキャンブックス)
※8.筆者の見解による

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