(大正2年 四條大橋開通記念 車号不明(20号か40号?) 土木図書館所蔵 絵葉書)
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(大正2年 四條大橋開通記念 号車不明 土木図書館所蔵 絵葉書)
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(大正2年 四條大橋開通記念 110号 土木図書館所蔵 絵葉書)
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(昭和31年 車庫 撮影 高橋 弘氏)

京都市交通局広軌1形(1〜169号)

※元々は1形であるが、京都電気鉄道を買収、
こちらに通称N電と呼ばれた狭軌1形が存在したため、
後年は広軌1形と呼ばれた。

解説

誕生
※1.明治45年(1812年)6月11日の京都市営電車開業時に40両登場した市電初の開業車両。
当時、製作中の車両を含め、何と169両も存在した。
※2.京都市内には既に明治28年(1895年)1月31日、京都電気鉄道により日本初の路面電車が開業しており、市電はこれに次ぐものであった。この京都電気鉄道も大正7年7月に市電に吸収されている。
特徴
※1.開業当時の写真を見ると、明治時代標準の運転席の正面窓が無く、いわゆる馬車スタイルの車体で前面はダッシュボードのみであったが、大正7年頃には正面に窓がある写真が確認できる一方、大正14年の写真でまだ正面窓が無いものもあり、※3.大正末期にかけ改造されたものと思われる。ただし、製造年から推定すると、後期の増備車は最初から正面に窓があるスタイルで新造されたのかも知れない。
高床式木造単車で、2段屋根、2段胴目、中央ダブルポール(終点で進行方向後方に回転させる方式)であった。
このうち明治45年6月に造られた、1・2号の2両は「貴賓車」として特別仕様で造られた。車体寸法こそ1形と同一だが、側面窓は大型となり片側5枚に、車内はソファータイプの座席8席(片側4席)とし、各所に厳選した素材を使い贅を尽くした高級車に仕上がっていた。
台車やモーターのパワー、製造所は製造年により異なっている。
その後
大正元年までに55両、大正2年に72両、大正10年10月に2両を増備。このうち長崎にやってきた車両は大正2年2月から9月にかけ増備された72両のうちの5両である。
大正12年5月には、貴賓車1・2号が普通客車へ改造を受け、座席やつり革を取り付け、171・172号に改番され1形全廃まで活躍。
昭和13年、長崎電気軌道へ5両譲渡され80形になった他、同時に海を渡り大連都市交通(現在の中華人民共和国大連市の路面電車)へも10両譲渡された。
廃車は昭和15年に始まり14両、昭和21年に31両、昭和23年に42両、24年に13両が廃車され、昭和25年に33両を残すのみとなっていたが昭和27年3月31日で全車消滅した。
なお、29号のみは当時の姿に復元され現在も保存されている。

経歴表

大正2年2月

京都市電が1形として新造

昭和13年6月15日 長崎電気軌道譲受
昭和13年8月20日 長崎電気軌道80形


参考文献
※1.83年の歩み さようなら京都市電(昭和53年5月 京都市交通局)
※2.路面電車の基礎知識(平成11年 谷川一巳、西村 慶明、水野 良太郎著 イカロス出版)
※3.筆者の見解による

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