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※イラスト図面化 長崎電気軌道(株)1987-2005 承認済

生粋の京都スタイル
短命に終わった不運の形式

元・京都市電 広軌1形

80形(81〜85号)


profile

車種

木造単車

両数

5両

自重

9,2t

定員

48人

全長

8,738mm

全幅

2,327mm

全高

3,360mm

コントローラー

GE-B18

台車形式

Brill21-E

車輪径

787mm

モーター形式

GE-800

モーター出力

18,6kw×2

歯車比

不明

ブレーキ

手動・電気

製造年

大正2年

製造メーカー

梅鉢鉄工所

譲受年

昭和13年

在籍年数

通算6年

在籍期間

昭和13年〜昭和19年


解説


文中の※1〜は下記参考文献からの引用を示しています。

誕生
大正2年2〜9月に京都市の広軌1形として新造された169両のうちの5両。
※5.
昭和8年の下の川〜大橋延長、翌9年諏訪神社〜蛍茶屋間の延長、日支事変の勃発以来から造船・軍需工場の輸送人員が急増し、ラッシュ時には車両不足となっていた、そこで輸送力増強の為、※6.昭和13年7月7日付けで廃車になった15両の京都市電のうち5両を、昭和13年8月、長崎電軌が130形と共に譲受した。
特徴
車体サイズが在来車より一回り大きく、※5.昭和13年7月9日付けで認可申請したところ※4.自重も1,5t重かったため大浦支線の出師橋の通行禁止条件つきで8月20日に認可された。
車体が大きい分電動機のパワーも他車より大きくなっていた。
※4.
120形では2段屋根の前後を丸く改造して使用したが、80形はそのまま使用し、長崎では初の段落ち屋根となった(借入車を除く)。
車体は120形同様鉄板張りで、客室部分の裾を絞った京都市電生粋のスタイルを保っていた。形式が120番台からなぜ80番台に戻ったかは不明だが、※2.※4.モーター形式のGE-800にちなんだものと思われる。※5.車内は床面はリノリュームばりであった。
その後
ロングボディー、※4.ロングホイルベース.(従来車1,981mmに対し2,134mm)のためか、長崎の線路とは相性が悪く、※2バックゲージが広がったため脱線事故と電動機の故障が相次ぎ、3年後の昭和16年頃には全車休車に。
※1
しかし日造船・軍需工場の輸送人員急増による、ラッシュ時の輸送力増強の為、※2昭和18年末、バックゲージを修正して再度復活、しかし、相変わらず電動機の故障が続出、ラッシュ時を過ぎるとすぐに入庫状態であった.
そして朝、夕のラッシュ時は急行運転となり、フルスピードで輸送に当たったところ、遂に全車再休車となり、※4.部品を他車に転用し大橋車庫に留置されていたところを昭和19年10月10日の大橋車庫火災で全車焼失し、消滅した。
戦前、戦時中とあって当時の写真は残っていない。
※4.
通称・京都市電と呼ばれていたが、長崎での表舞台での活躍は短く、市民に馴染みが薄い車輌だった。

※8.
なお、80形のモーターGE-800は戦後、コイルを巻き変えて、戦災で車両・部品不足の鹿児島市電へ譲渡されたそうである。
塗装の変遷
※5.デビュー時から廃車時まで緑一色であったと推定されるが、120形、及び京都市電時代の塗装にならい、側面の車体下半分はクリーム色だった。
集電装置の変遷
廃車時まで前後各2本2組設置のポール終電だった。

参考文献
※1.THE TIGHT COUPLAR47号(京都鉄道趣味同好会 昭和27年10月19日発行 「長崎の電車」 田栗優一氏)
※2.鉄道ピクトリアル41号 昭和29年12月号(私鉄車両めぐり18 昭和29年10月発売 長崎電軌 田栗優一氏)
※3.長崎電気軌道株式会社 40年誌(昭和29年10月20日発行)
※4.鉄道ピクトリアル275号 昭和48年2月号(私鉄車両めぐり95 昭和48年1月発売 長崎電気軌道 田栗優一氏)
※5.長崎電気軌道株式会社 五十年史(昭和42年4月1日発行)
※6.鉄道ピクトリアル365号(他社へ渡った京都市電の車両 吉川文夫氏)
※7.長崎「電車」が走る街 今昔(平成15年6月8日発売 田栗優一氏著 JTBキャンブックス)
※8.田栗優一氏の聞き取り調査による

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