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※イラスト図面化 長崎電気軌道(株)1987-2005 承認済

長崎初の丸屋根採用の特別仕様車

62形(62・63号)


profile

車種

木造単車

両数

2両

自重

7,5t

定員

45人

全長

8,903mm

全幅

2,134mm

全高

3,312mm

コントローラー

WH-B18L

台車形式

Brill21-E

車輪径

787mm

モーター形式

WH-506

モーター出力

17,5kw×2

歯車比

90:14

ブレーキ

手動・電気

製造年

大正13年

製造メーカー

長崎電気軌道・車両製作部  (茂里町工場)

在籍期間

大正13年〜昭和28年

在籍年数

通算28・30年


解説


文中の※1〜は下記参考文献からの引用を示しています。

誕生
11形以来、4形式53両を製造してきた車両製作部も、予定されていた路線延長も終了し車両の増備も必要なくなった事から、当初の目的も達せられたという事で閉鎖される事になり、その最後を記念して大正13年1月に製作されたのがこの2両。
特徴
※5.台車、電気機器類は大正12年2月、アメリカより購入。
足回りは40形と同一ながら、長崎電気軌道・車両製作部の記念すべき最後の製作車両として、当時の最新のデザインを採り入れ、念入りに造られた。 ※4.※5.阪神電車311形を模し小型化したと言われ、類似部分も多くに見られた事から社内では「京阪形」と呼んでいた。
※5.
一番の特徴は当時流行の先端であった丸屋根を長崎で初採用、車体長は運転席横の小窓分長く、幅、高さとも40形より一回り大きくなっており収容力もあり、戦後まで活躍した。また、40形同様、ドアとステップの間にドアと連動する塞ぎ板が設けられ、長崎初の2段ステップとなっていた。
※7.
運転台上部にも小窓が設けられ、天井部分は中心に大きいRの天井、その左右に小さいRの天井を添え、念入りに造られていた。
その洗練されたスタイルは当時、業界でも注目を集めたそうだ。
その後
62号は昭和21年6月にブレーキ故障事故で脱線。応急修理の上回送中、再度故障の上暴走、44号に追突させて停車させた。修理の上、昭和28年、54号に改番し2代目54号に。
※21,981mmの短いホイールベースの台車に対して、8,903mmの長すぎた車体は力学的にもオーバーしていたため、車体と台車の不均衡が生じ、車体の弛みが激しく、63号は昭和27年、車体更新車の新造車体に載せ替えられ消滅。結局オリジナル車体は40形より一足早く昭和30年の2代目54号の廃車で消滅した。
塗装の変遷
※9.デビュー時は小豆色と推定される。※3.緑一色が最も長く採用され(※8.昭和6年頃以降)。廃車時もこの色であった。
集電装置の変遷
※7.当初から前後各2本2組設置のポール集電で登場した。
また、戦後の※3.昭和24年4月に1本ポール化された。
※9.
最後まで2代目54号は昭和28年にビュゲールに取り替えた。

 

参考文献
※1.THE TIGHT COUPLAR47号(京都鉄道趣味同好会 昭和27年10月19日発行 「長崎の電車」 田栗優一氏)
※2.鉄道ピクトリアル41号 昭和29年12月号(私鉄車両めぐり18 昭和29年10月発売 長崎電軌 田栗優一氏)
※3.長崎電気軌道株式会社 40年誌(昭和29年10月20日発行)
※4.鉄道ピクトリアル275号 昭和48年2月号(私鉄車両めぐり95 昭和48年1月発売 長崎電気軌道 田栗優一氏)
※5.長崎電気軌道株式会社 五十年史(昭和42年4月1日発行)
※7.長崎「電車」が走る街 今昔(平成15年6月8日発売 田栗優一氏著 JTBキャンブックス)
※8.日本路面電車同好会 梨森武志氏の調査による
※9.筆者の見解による

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