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自社製作完全新造車第1号
しかし不運な幻の車両

13形(13〜19号)


profile

車種

木造単車

両数

7両

自重

詳細不明

定員

詳細不明

全長

詳細不明

全幅

詳細不明

全高

詳細不明

コントローラー

詳細不明

台車形式

詳細不明

車輪径

詳細不明

モーター形式

詳細不明

モーター出力

詳細不明

歯車比

詳細不明

ブレーキ

詳細不明

製造年

大正6年

製造メーカー

長崎電気軌道・車両製作部  (茂里町工場)

在籍期間

大正6〜10年

在籍年数

通算3〜4年間


解説


文中の※1〜は下記参考文献からの引用を示しています。

誕生
神戸・名古屋から熟練職人3名を呼んで試作したのが11形が良好であった為、※5.長崎電気軌道・車両製作部が茂里町車庫内に誕生、正式に車体新造を手がけるようになった。
7両を増備したのが13形。11形の量産車と考えられる。大正6年に製造された。
特徴
11形同様、大正10年5月23日の茂里町車庫火災で全車全焼し消滅。新造後僅か3〜4年という短命で姿を消した事、まだカメラが一般的でない大正時代であった事から、長い間寸法や車体の形態などは全く不明であった。
これまでの諸説では「※4.新品の台車と電動機を富士水電(現・伊豆箱根鉄道)から海外製を購入(※5.8両分という記録もある)、狭軌用台車であった為、標準軌間用に改造の上使用、車体を新造したもの。※9.11形が足回りが中古の車体更新車であったのに対し、13形は完全新車。」とされてきたが、今年、長崎県立図書館所蔵の「長崎市地番入分割図」という大正8年発行の地図の本の中に紹介されている絵葉書に、偶然にも13形と思われる写真が掲載されていることが田栗優一氏によって確認された。
※7・8.田栗優一氏によると、車体の客室部分の前後が垂下しており、新造から僅か2年ではありえないという事で、新造車ではなく中古車の改造説が新たに浮上した。
大正5年の営業報告書によると中古車2両を購入したとの記述もあり、これが該当する車両で車体・台車共々したものかとも推測され、田栗氏は写真は13・14号のどちらかと推定されている。
もしかすると、13・14号と15〜20号は別形式なのかも知れないが、これもこの写真1枚では解明できず、新たな発見が待たれる。
※1.17〜19号は特殊なコントローラーを装備していたそうだ。
その後
大正10年5月23日の茂里町車庫火災で全車全焼し消滅。このため、寸法や車体側面の形態などは全く不明。
塗装の変遷
詳細は不明だが、時代的に1形同様茶色一色と推定される。
集電装置の変遷
写真から推定すると、撮影された頃は詳細は不明だが、写真から2本1組で車体中央に設置されてものを終点で折り返す度にヒモを引っ張って回転させていたものと推定される。この形式も前後設置に改められたかどうかは不明。

 

参考文献
※1.THE TIGHT COUPLAR47号(京都鉄道趣味同好会 昭和27年10月19日発行 「長崎の電車」 田栗優一氏著)
※4.鉄道ピクトリアル275号 昭和48年2月号(私鉄車両めぐり95 昭和48年1月発売 長崎電気軌道 田栗優一氏)
※5.長崎電気軌道株式会社 五十年史(昭和42年4月1日発行)
※7.長崎「電車」が走る街 今昔(平成15年6月8日発売 田栗優一氏著 JTBキャンブックス)
※8.筆者の見解による
※9.筆者の見解による

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