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※イラスト図面化 長崎電気軌道(株)1987-2005 承認済

120形と同一形式
戦前最後の譲受車

元大阪市電11形・291形
元阪急電鉄・北野線

130形(131〜134号)


profile

車種

木造単車

両数

10両

自重

7,5t

定員

45人

全長

8,306mm

全幅

2,286mm

全高

3,360mm

コントローラー

GE-B18

台車形式

Brill21-E

車輪径

787mm

モーター形式

GE-52

モーター出力

17,5kw×2

歯車比

67:14

ブレーキ

手動・電気

製造年

明治45年

製造メーカー

梅鉢

譲受年

昭和14年

在籍年数

通算56〜14年

在籍期間

昭和14年〜昭和28年


解説


文中の※1〜は下記参考文献からの引用を示しています。

誕生
※5.昭和8年の下の川〜大橋、翌9年諏訪神社〜蛍茶屋間の路線延長、及び日支事変の勃発から造船・軍需工場の輸送人員が急増し、ラッシュ時には車両不足となっていた、そこで輸送力増強の為、80形と共に譲受した。
この形は長崎の120形と同型。※6.うち3両は元南海鉄道の車両で、明治44年1月29日に上町線の開通により始まった大阪市電乗り入れ用として市電と同タイプの車両を明治43年に新造されたもの。明治45年2月14日の乗り入れ廃止に伴い大阪市に移籍、291形となった。大阪市電11形と同型だが、電動機・自重が異なっていた。
※8.当時の写真を見ると新造当時は借入車同様、運転席正面の窓が無いスタイルであったが、大阪時代の※9.大正4〜5年頃ベスチビュールタイプ(正面に運転席窓があるタイプ)に改造されているようだ。
その一部が大正15年10月21日阪急・北野線(※6.路面区間が残っていた梅田〜北野間0.8km)に移り、昭和14年の同線の廃止に伴い長崎電気軌道に譲渡されたもの。
特徴
客室側面が絞り込まれた鉄板張りの車体スタイル、性能は元々同型である120形と同じであったが、ヘッドライトの形や保護棒の形状、ベンチレータがあるなど細部が異なっていた。
※5.同形という事で、番号は120形の連番になっている。
※4.屋根は120形同様、阪急時代まで段落ち屋根だったが、前後を丸く改造して使用開始した。また、※6.阪急時代には集電装置としてボウコレクターが前後に装備されていた。
その後
昭和20年8月9日の原子爆弾投下により132号を焼失。
残った3両も131・133号が昭和26年に車体更新車の新造車体に、134号は昭和28年に有明形の中古車体に載せ替えられオリジナル車体は消滅。3両は130形の番号のまま活躍した。ちなみに、134号はその後、アメリカに渡り現在もケネルバンクポート市の電車博物館で動態保存されている。※2.また原型の134号の車体は車体乗せ替え後、しばらくの間蛍茶屋車庫内に空気制動室として残っていた。
塗装の変遷
デビュー時から緑色であったが、120形の塗装にならい、側面の車体下半分はクリーム色に塗られていて、緑一色の他車の中で異色の存在だったが、後年は緑一色に塗られていた。
集電装置の変遷
戦前は前後各2本2組設置のポール集電だったが、戦後の※3.昭和24年4月に1本ポール化された。


参考文献
※1.THE TIGHT COUPLAR47号(京都鉄道趣味同好会 昭和27年10月19日発行 「長崎の電車」 田栗優一氏)
※2.鉄道ピクトリアル41号 昭和29年12月号(私鉄車両めぐり18 昭和29年10月発売 長崎電軌 田栗優一氏)
※3.長崎電気軌道株式会社 40年誌(昭和29年10月20日発行)
※4.鉄道ピクトリアル275号 昭和48年2月号(私鉄車両めぐり95 昭和48年1月発売 長崎電気軌道 田栗優一氏)
※5.長崎電気軌道株式会社 五十年史(昭和42年4月1日発行)
※6.日本路面電車同好会 シュタットバーン12号(大阪市電特集 「長崎に来た大阪市電」平成2年9月発行 梨森武志氏)
※7.日本路面電車同好会 梨森武志氏の調査による
※8.筆者の見解による
※9.チンチン電車80年(昭和48年 東京出版企画社編 立風書房)

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