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※イラスト図面化 長崎電気軌道(株)1987-2005 承認済

長崎初の他都市からの譲受車
また、唯一の他都市への譲渡車

元大阪市電11形

120形(121〜130号)


profile

車種

木造単車

両数

10両

自重

7,5t

定員

45人

全長

8,306mm

全幅

2,286mm

全高

3,360mm

コントローラー

GE-B18

台車形式

Brill21-E

車輪径

787mm

モーター形式

GE-52

モーター出力

17,5kw×2

歯車比

67:14

ブレーキ

手動・電気

製造年

明治41〜45年

製造メーカー

121〜124号

日本車両
125・126号 不明
127〜129号 天野
130号 梅鉢

譲受年

昭和2年

在籍期間

昭和3年〜昭和28年

譲渡年

昭和21年(3両のみ)

在籍年数

通算18〜25年


解説


文中の※1〜は下記参考文献からの引用を示しています。

誕生
明治41年から45年にかけて、日本車両、天野、梅鉢などで新造された大阪市電の木造単車群、11形の一部。
※8.当時の写真を見ると新造当時は借入車同様、運転席正面の窓が無いスタイルであったが、大阪時代の※9.大正4〜5年頃ベスチビュールタイプ(正面に運転席窓があるタイプ)に改造されているようだ。
この形式は300両の大所帯だったそうで、一部は阪急電鉄を経て長崎にやって来て130形となった。また※9.福博電車(のちの西鉄・福岡市内線)も20両譲受し、車体の一部を改造。同形車が「有明形」としてこれまた長崎へやってきている、長崎とは縁が深い車だ。
特徴
開業以来、新造車(または車体のみ新造)での車両増備を行ってきたが、※5.昭和2年の運賃値上げに伴い車両増備を約束したものの、折からの不況で中古車購入により車両増備する事となり、大阪市で余剰になっていた、車両を昭和2年10日付で譲受。長崎初の中古車となった。
※8譲受車として、他車と区別する意味か(詳細は不明)、在来車のラストナンバー63号から大幅に飛ばして、初の100番台の形式となったが※5.その理由は判然としない。
客室部分が側面に出っ張り、車体裾を鉄板張りにし絞った明治時代独特のスタイルで、車体幅が当時の長崎の車体限界(※6.在来車2134ミリに対して2286ミリと152ミリ大きかった)を超えており、※5.昭和2年12月9日に認可申請したが※4.使用許可がなかなか下りず、一部の架線柱を軌道中央から道路両端に移転する条件付きで昭和3年1月25日付で認可された(※6.大阪側資料では昭和3年1月25日付で譲渡)。※6.この結果、架線支持物は順次木製の道路中央柱(いわゆるセンターポール方式)から、古レールを使った側柱方式に変更された。※5.また、「チンチンベル」には大阪市電時代の市章である「おみつくし」が残っていたという。※1当時、「大阪形」と呼ばれていたそうだ。
※4.長崎入線の際、茂里町車庫にて2段屋根の前後を丸く改造。
20形以来の運転席にドアが無いオープンデッキスタイルとなっている。
※1古い電車ながらスピードは速くシリース運転で32km/hくらい出ていたとか。
その後
※4.昭和19年10月10日の大橋車庫火災で124号1両を半焼(のち修理して2代目124号として復活)、昭和20年8月9日の原子爆弾投下により125・126号の2両焼失。
※5.翌21年12月26日には、空襲により33両の焼失車が出た鹿児島市の救済で、123・128・129号の3両が譲渡され、このうち元128のみが車体更新され昭和35年まで活躍。これが長崎唯一の他都市への譲渡車となっている。
残った4両は昭和24〜26年にかけ、122・127・129号が車体更新車の新造車体に載せ替え、最後まで残った121号が昭和28年に有明形の中古車体に載せ替えられ消滅した。明治生まれの車両としては大活躍であったが※2末期には車体の歪みがかなり著しかったという。
塗装の変遷
デビュー時は小豆色、あるいは当初から緑色であったかも知れないが、※7.昭和6年頃以降は確実に緑色であったと推定される。なお、大阪市電時代の塗装にならい、側面の車体下半分はクリーム色に塗られていて、緑一色の他車の中で異色の存在だったが、後年は緑一色に塗られていた。
集電装置の変遷
戦前は前後各2本2組設置のポール集電だったが、戦後の※3.昭和24年4月に1本ポール化された。

参考文献
※1.THE TIGHT COUPLAR47号(京都鉄道趣味同好会 昭和27年10月19日発行 「長崎の電車」 田栗優一氏)
※2.鉄道ピクトリアル41号 昭和29年12月号(私鉄車両めぐり18 昭和29年10月発売 長崎電軌 田栗優一氏)
※3.長崎電気軌道株式会社 40年誌(昭和29年10月20日発行)
※4.鉄道ピクトリアル275号 昭和48年2月号(私鉄車両めぐり95 昭和48年1月発売 長崎電気軌道 田栗優一氏)
※5.長崎電気軌道株式会社 五十年史(昭和42年4月1日発行)
※6.日本路面電車同好会 シュタットバーン12号(大阪市電特集 「長崎に来た大阪市電」平成2年9月発行 梨森武志氏
※7.日本路面電車同好会 梨森武志氏の調査による
※8.筆者の見解による
※9.チンチン電車80年(昭和48年 東京出版企画社編 立風書房)
※10.鹿児島市電のあゆみ(毎日新聞社)

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