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120形経歴表

121号

明治41年7月28日 日本車両で大阪市電11形67号として新造

昭和2年8月10日長崎電気軌道が譲受     
昭和3年1月25日認可・入籍

※大阪市から長崎電気軌道への譲渡は昭和3年1月25日付

昭和28年8月

休車

昭和28年10月23日 車体を有明形車体に載せ替え
※7.
車体は昭和29年3月解体

→有明形2代目121号へ

122号

明治42年2月15日 日本車両で大阪市電11形108号として新造 

昭和25年9月30日 新造車体に載せ替え

→車体更新車2代目122号へ

123号

明治42年4月17日 日本車両で大阪市電11形121号として新造 

昭和21年12月26日 鹿児島市へ譲渡

→鹿児島市電32形34号として活躍

(昭和25年廃車、※書類上は昭和26年10月付)

124号

明治42年4月17日 日本車両で大阪市電11形129号として新造 

昭和19年10月10日 大橋車庫火災で半焼

昭和22年4月30日車体再生、復旧

火災復旧車2代目124号へ

125号

明治42年6月17日 大阪市電11形186号として新造 メーカー不明

昭和20年8月9日 原子爆弾投下により被災・焼失

126号

明治45年5月15日 大阪市電11形201号として新造 メーカー不明

127号

明治45年5月15日 天野で大阪市電11形206号として新造

昭和24年11月9日 新造車体に載せ替え
※1.車体は蛍茶屋車庫で物置として利用

→車体更新車2代目127号へ

128号

明治45年5月13日 天野で大阪市電11形211号として新造

昭和21年12月26日 鹿児島市へ譲渡

→鹿児島市電32形33号として活躍

※1..昭和23年10月車体更新・台車交換を受ける

(昭和35年9月16日廃車)

129号

明治45年5月27日 天野で大阪市電11形227号として新造

昭和21年12月26日 鹿児島市へ譲渡

→鹿児島市電32形32号として活躍

(昭和25年廃車、※書類上は昭和26年10月付)

130号

明治45年6月6日 梅鉢で大阪市電11形266号として新造

昭和26年1月27日 新造車体に載せ替え

→車体更新車2代目130号へ

 ※1.鹿児島市電へ譲渡した車両は昭和21年11月に使用開始、譲渡は21年10月24日
というデータもある。書類上の認可は昭和25年10月10日付、昭和26年6月竣工。
すなわち32号、34号書類上、未竣工のまま解体されている。


参考文献
THE TIGHT COUPLAR47号(京都鉄道趣味同好会 昭和27年10月19日発行 「長崎の電車」 田栗優一氏)
鉄道ピクトリアル41号 昭和29年12月号(私鉄車両めぐり18 昭和29年10月発売 長崎電軌 田栗優一氏)
長崎電気軌道株式会社 40年誌(昭和29年10月20日発行)
鉄道ピクトリアル275号 昭和48年2月号(私鉄車両めぐり95 昭和48年1月発売 長崎電気軌道 田栗優一氏)
長崎電気軌道株式会社 五十年史(昭和42年4月1日発行)
日本路面電車同好会 シュタットバーン12号(大阪市電特集 「長崎に来た大阪市電」平成2年9月発行 梨森武志氏
チンチン電車80年(昭和48年 東京出版企画社編 立風書房)
田栗優一氏、山城正一氏など諸先輩ファン氏の調査
※1.長崎電気軌道全車両履歴表 (昭和58年3月20日製作 日本路面電車同好会 梨森武志氏)
及び梨森武志氏のその後の調査による

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