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自社製作第1号
しかし不運な車両

11形(11・12号)


profile

車種

木造単車

両数

2両

自重

詳細不明

定員

詳細不明

全長

詳細不明

全幅

詳細不明

全高

詳細不明

コントローラー

詳細不明

台車形式

詳細不明

車輪径

詳細不明

モーター形式

詳細不明

モーター出力

詳細不明

歯車比

詳細不明

ブレーキ

詳細不明

製造年

大正5・6年

製造メーカー

長崎電気軌道・11号工務課、12号車両製作部(茂里町工場)

在籍期間

大正5・6〜10年

在籍年数

通算4〜5年間


解説

文中の※1〜は下記参考文献からの引用を示しています。

誕生
※5.大正5年の大浦線の開通を前に車両増備することになった。開業時の1形は価格が高かった為、車体を自社で製造する取り組みを行い※2.神戸・名古屋から熟練した職人3名を呼んで完成したのが試作したのが11号。この結果、目的通り安価で製造できた為、その後も自社製作を継続。車両製作部が誕生した。
特徴
※3.大正5年9月28日付で丹羽電気用品製作所から中古車(詳細不明)を購入。車体のみを新造して同年11月23日に11号が、翌6年3月27日に12号が完成した。おそらく、中古車両の車体更新に当たるものと思われるが、車体は完全新造であったのか、台枠などは流用したものなのか、全く不明である。
その後
大正10年5月23日の茂里町車庫火災で全車全焼し消滅。新造後僅か4〜5年という短命で姿を消した事、まだカメラが一般的でない大正時代であった事から、長い間寸法や車体の形態などは全く不明であった。
以来83年間、長崎電気軌道の社史や電車研究家の間でも「幻の形式」とされてきたが、平成16年。日本路面電車同好会の梨森武志氏により、11号の写真の存在が確認され、初めてそのベールを脱いだ。
※4.
1形に比べると細面の印象で、1形同様、唐草模様が入っている。撮影年は大正5〜8年と推定される。さらに別の写真から、側面客室窓は8枚であり、乗降用の引き戸は設置されていないセミオープンであり、後の20形に似たスタイルであることが判明。11形はその後の車両のプロトタイプとなったものと思われる。なお、出師橋の11形の写真は土木図書館所蔵の他、その後梨森氏も別途入手して所蔵している。
塗装の変遷
※8.写真から1形同様小豆色に金箔の唐草模様をあしらった華麗なスタイルと推定される。
集電装置の変遷
当初、車体中央に設置されてものを終点で折り返す度にヒモを引っ張って回転させていたが、折り返しの不便を解消するため、前後設置に改められた。※8.写真から推定すると、撮影された頃は詳細は不明だが、写真から2本1組で車体中央に設置されてものを終点で折り返す度にヒモを引っ張って回転させていたものと推定される。この形式も前後設置に改められたかどうかは不明。


参考文献
※1.THE TIGHT COUPLAR47号(京都鉄道趣味同好会 昭和27年10月19日発行 「長崎の電車」 田栗優一氏著)
※2.十年誌(大正13年5月発行 長崎電気軌道)
※3.鉄道ピクトリアル275号 昭和48年2月号(私鉄車両めぐり95 昭和48年1月発売 長崎電気軌道 田栗優一氏)
※4.鉄道ピクトリアル754号 平成16年11月号平成16年9月発売 「開業期の長崎電気軌道の写真について」 梨森武志氏)
鉄道ピクトリアル756号
 平成17年1月号平成16年11月発売 長崎電軌 もう一枚の11形の写真」梨森武志氏)
※5.長崎電気軌道株式会社 五十年史(昭和42年4月1日発行)
※8.筆者の見解による

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