特集 「幻の電車」遂に明らかに!

83年振りにヴェールを脱いだ

長崎電気軌道11形

 出師橋(現在の出島バイパス出口付近)を渡る11形11号 
大正5〜8年頃 (土木図書館所蔵 梨森武志氏所蔵)

梨森武志氏の推定による

11形は長崎の電車の創業期。大正5年に長崎電気軌道初の自社内車体製造の形式。
大正5年に11号、翌大正6年に12号の合計2両が製造された。

しかし、不幸にも大正10年5月23日に発生した茂里町車庫火災で全車全焼、
その活躍はわずか4〜5年に終わった。

原爆の影響もあって以来、写真、図面など資料が全くなく、どのような形態だったのか
全く不明となり、長崎電気軌道の社史や電車研究家の間でも「幻の形式」とされてきた。

平成16年。日本路面電車同好会の梨森武志氏により、11号の写真の存在が確認され、
誕生から88年、焼失してから83年振りに、初めてそのベールを脱いだ。
11形の姿がこのように絵葉書として記録に残され、さらに土木学会に保存されて
たい事が今回の奇跡的な発見につながり、来年90周年を迎える長崎の電車の
失われていた歴史を紐解くきっかけとなったのである。


梨森武志氏、ならびに土木図書館の厚意により、
当サイトで初めて長崎電気軌道の車両史の中での紹介が可能となりました。

これまで「?」と表示してきた長崎の路面電車歴代全形式 データベース
11形の写真公開を開始いたしました。


梨森武志氏
によると

車両前面は1形に比べると細面の印象で、1形同様、唐草模様が入っている。
さらに別の写真から、側面客室窓は8枚であり、乗降用の引き戸は設置されていない
セミオープンスタイル、後の20形に似たスタイルであることが判明している。
11形はその後の車両のプロトタイプとなったものと思われる。

 大浦離合点(現在の旧英国領事館前付近)で交換する11号と12号 
梨森武志氏所蔵


大正末期の玉江橋と20形?


玉江橋(現在の玉江橋と同位置)を渡る20形 
大正末期頃 (土木図書館所蔵)

梨森武志氏の推定による

こちらは大正末期の玉江橋(出島〜大波止間)を渡る20形と思われる電車
同じく梨森武志氏によると

出島側から長崎駅側を撮影したもので、当時の玉江橋は長さ39.9m、幅5.1m
のトラス橋梁で、その両側に幅4.1mの歩道があった。
川の流れに対して斜めに架かっており、平行四辺形の斜橋だった。

橋の幅員の関係から橋梁を含む75mは単線で開業。
営業開始後3ヵ月以内の架替条件だったが、
昭和10年にようやく鉄筋コンクリート製の新橋への架け替えが
初まり、完成までの間橋の区間は徒歩連絡であった。

ちなみに、この時の新橋は今なお現役である。


なお、出師橋の11形の写真は土木図書館所蔵の他、
その後梨森氏も別途入手して所蔵している。

詳細は
鉄道ピクトリアル754号 平成16年11月号
 
「開業期の長崎電気軌道の写真について」 



鉄道ピクトリアル756号 平成17年1月号
 「長崎電軌 もう一枚の11形の写真」 


に掲載されている。



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